しきしまのやまと心を人とはば・・・

by on 2013年3月24日日曜日

 上は雪化粧をした新宿駅。いつだったか、東京に雪が積もった日があって、その次の日、撮影の仕事で渋谷に行った。撮影の帰り、新宿と高田馬場を何度も往復して、車内からシャッターを切った。新宿を美しいと感じたことはそれまでなかった。東京の雪景色を組写真にしたら面白いと思い、いろいろ準備して次の機会を待ったが、今年の雪は東京を通り過ぎて二度と帰ってこなかった。
 昨日は、連載をしている月刊誌の取材で目白台へ行った。取材の帰り、永青文庫と関口芭蕉庵の間の急な坂を下って神田川へ抜けると、江戸川公園の染井吉野が満開だった。花見は、万葉集でも詠まれているほど昔からの日本の風習だが、酒盛りをするなかに外国人のグループもちらほらあって可笑しかった。
 先週の土日が古本屋のイベントでつぶれたので、今日はしっかり朝寝をした。これから原稿書きが二件。夜は銀座で撮影。

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忘年会 / 新年会

by on 2013年1月18日金曜日

photo / 長谷川シン
 私は勤め人ではないから忘年会や新年会の義務はない。義務的な飲み会が何より苦手なので、この時期になると、フリーランス/自営業でよかったとしみじみ思う。そんな私だが、去年の年末、今年の始めは、いい忘年会 / 新年会に参加することができた。どちらも写真絡みの飲み会だ。

 去年の年末はろでぃ氏の自宅での忘年会に参加した。メンバーはろでぃ氏、長谷川シン氏、Thomas Orand氏、私、その他連れ合いも含めて計6人。付き合いも古く、写真の面で尊敬する仲間たちだ。
 以前は、写真SNSのFlickr絡みで、毎週のように歌舞伎町やゴールデン街で飲んでいた。日本人だけでなく、海外の写真家達との飲み会にも、頻繁に顔を出していた。写真仲間を集めて写真展を組織したり、写真集の製作をやったりもした。でも今はやらない。人を集めて何かをやる面倒臭さに心底嫌気がさしたのと、自分に出来ることは一通りやったという思いと、何より、写真家としての自分の時間を犠牲にするのに耐えられなくなったからだ。今はただ、少数の尊敬する写真家とたまに飲めればそれでいい。あとの時間は、自分の写真との対話に費やしたい。
 今回の忘年会のメンバーとも、昔は大暴れしたものだ(笑)。いろんな写真家と付き合って、結果彼らとの交遊が残ったのは、彼らが人として真っ当だからに他ならない。人間としてどうよ?と思う相手と、そもそも写真について語らう気にはならない。私が彼らとの交遊を好むのは、みな心が広く、情に厚く、そして何より、シャシンに一直線な馬鹿野郎たちだからだ。シャシンなんて、所詮やってもやらなくてもどっちでもいいもの。人としての土台を蔑ろにしてまで、手を出すべきものじゃーないと私は思うが、どうだろう。

 さて先日の新年会。こちらは打って変わって、まさに酒宴と呼ぶにふさわしい大人数のもの。ジャーナリストで極道ライターの鈴木智彦氏が主催する宴席だ。このグループは非公開なので、ここで詳しく書かないが、実に楽しい飲み会だった。メンバーは、私のような万年ワープアな写真家から、高名なライターまで多士済々。私がこの会を好むのは、鈴木氏の好みか人望か分からないが、参加する方々がみな「いい顔」をしているからだ。
 昔何かで読んだが、映画監督の黒澤明が晩年サムライものを撮らない理由について、「撮りたいと思ういい面構えの役者がいないからだ」と言っていた。確かに黒澤監督の映画を観ると、脇役の騎馬武者や酒場の親父、その他大勢の農民に至るまで、みなゴリッとしたいい面構えをしている。その意味で、鈴木氏が主催する飲み会は、勤め人から元堅気でない方まで含めて、思わずシャッターに指が伸びてしまう「いい面構え」をしていて好きなのだ。そういう方たちの話を聞くと、みな只者ではない仕事をやっている。私もいい面構えになるような本統の仕事をやっていきたいと思った次第。
 
 今年も少しずついろんな仕事が舞い込んで、忙しい1年になりそうだ。これから銀座にairbnbの撮影に行って、それから夜は郵便局。明日は夜にライブの撮影をやって、その後連載の原稿書きを2件片付けねばならない。皆さまもよい1年でありますよう。

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Canon EF50mm F1.4 名玉論

by on 2013年1月11日金曜日

EF 50mm f/1.4 (f/1.8, 1/640, ISO200)

 私が愛用しているCanon EF 50mm f/1.4 USMが、世評、評判が悪いのに対して、私は名玉だと思っているので、そのことについて書こうと思う。
 カメラの世界に、名機、名玉(良いレンズのこと)という言葉がある。カメラもレンズも、決して安い買い物ではないから、購入するに当たってカメラ雑誌やネットの製品レビューを調べることになる。私もその一人だ。だが、結論から言って、そうした事前情報が当たることはまずない。とくにレンズにおいては。
 これは考えてみれば当然のことである。カメラ本体については、スペック(画素数とかセンサーの種類とか連射性能とか)が最も重要であるから、そこに評者の主観が入り込む余地は少ない。だがレンズは、スペック(レンズ構成とかガラスの種類とか)がどうあれ、結果的にその人が撮った写真を通じて評価せざるを得ないので、語れば語るほど主観的ならざるを得ない。そこに、レンズ評価の曖昧さがあると同時に、レンズを語る楽しみもまた存する。

 別の角度から話そう。名玉の条件とは何か?
 名玉、ということで、私が思い出すのは、Leitz summicron 35mmの8枚玉だとか、Noct-Nikkor 58mmだとか、LeitsのNoctiluxだとか、あまり詳しくないからその程度だ。どれも30〜50万円以上する高価なレンズだ。どれも使ったことがないので、私には分からない。
 私にとって名玉の条件、それは「信頼できるレンズ」、その一言に尽きる。
 例えば、「写真の仕事で、一本しかレンズを持って行けないとする」というような話の持っていき方で語られることが多いが、そういう場合に名玉は特に必要ない。単にクライアント(もしくは編集者)が求めているであろう絵を想定し、それに対して必要充分な玉を一個持って行けば済む話だ。
 問題は、「写真家が、何の求めもなく、ただブラッと散歩するときに、一本しかレンズを持っていけない場合、どのレンズを持って行くか?」である。
 これは、「仕事で一本しか」という場合と違って、度々直面する事態である。そして、この時ほどレンズ選びに苦慮することは他にない。なぜなら、写真家が何の求めもなく写真を撮ろうというとき、それは間違いなく写欲が増進している時である。そして、あわよくば良い写真を撮って、新しい写真のテーマを始めたいとか、芸術的な写真集でも作るきっかけにしたいとか、そんな不埒な期待で頭が一杯になっているものだからだ。
EF 50mm f/1.4 (f/5.6, 1/800, ISO100)

 そんな時、私は持って行くのがデジタルであれば、私が持つ唯一のデジタルカメラであるCanon 5d Mark Ⅱに、Canon EF35mm f1.4LではなくEF50mm f1.4USMを装着して行く。
 なぜなら、この一本を持っていけば、自分だけの狭い表現の隘路に強く踏み込むことはできないまでも、想定されるあらゆる「芸術的事態」に対処できるという信頼を、このレンズに持っているからだ。平たく言えば、一歩引いたフラットな風景描写にも、人が数人映り込んだスナップ撮りにも、対象に一歩迫った深い芸術的描写にも、このEF50mm f1.4 USMであれば、自分が記憶する場面以上の写真的な結果を出してくれると信頼しているからだ。さらに噛み砕いて言えば、F8まで絞れば、シャープなパンフォーカスの風景写真が撮れる。F4〜5.6くらいで、僅かに背景がボケた味のあるスナップが撮れる。そしてF1.8まで開けて撮れば(F1.4ではない)、背景がトロトロにボケて、しかもピントがシャープな深い写真が撮れる。と、まあそういうことだ。しかも、光が強すぎれば半段アンダーで、光が弱ければ1段くらいオーバーで撮れば、色味もしっかり乗って、その後のLightroomでもいじり甲斐のある絵が撮れる。

 と、ここまで持ち上げておいて何だが、私はこのEF50mm f1.4を買って3年ほど、クソレンズとしてまったく使ってこなかった。だが、35mmf1.4Lのゴージャスで破綻のない描写に飽きた後、何気に使ってみてこのレンズの素晴らしさに気づいたのだ。それまでは、レンズシステムの要である50mmに、こんなクソレンズを置くCanonの見識を疑っていたが、今では、評判の悪さに関わらず、長年このレンズ構成を変えなかったCanonのブレない姿勢に感銘を受ける。要はそれだけ、レンズの評価というものは難しいということだ。

 このCanon 50mm F1.4 USMは、現行のAFレンズには珍しいクセのある名玉だと思う。その意味で、アナログレンズ的な魅力のある渋いレンズだ、というのが私の結論だ。おそらく買ってすぐの人は、使ってみて少し落胆するか、「まあこんなものか」と思う程度だろう。しかし、Canon Lレンズのシャープでゴージャスで破綻のない「平凡な」描写に飽きた後、もう一度このレンズを使ってみて欲しい。絞りによって「線の太さ」が変わり、光や被写体に結果が左右され、撮るときに「うまく撮れてくれ!」と強く念じずにいられない所(これは重要な点だ。デジタルでは中々味わえない「撮影の緊張感」が得られる)、そして扱いに慣れてくれば、予想以上の結果をコンスタントに出してくれるこのレンズの魅力の虜になるだろう。
 レンズの良し悪しは長く付き合ってみなければ分からない。それがこの長い駄文の結論といえば結論である。
EF 50mm f/1.4 (f/1.8, 1/160, ISO800)

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有馬記念でオケラなクリスマス☆

by on 2012年12月26日水曜日

 金曜日、このブログを書いて郵便局へ。民営化後、さすがのお役所体質の郵便局も人員削減というヤツで、年末のような繁忙期になると途端に仕事が回らなくなる。というわけで、2時間超勤(残業のこと)を仰せつかる。2時間といっても、14時間働いた後の+2時間なので、眠気が酔いのように全身をまわりフラフラとなる。家に帰ってギャングスタ・ラップを聴く。G-Rapの「シット」だの「ファック」だの「ニガ」だのといった荒みきった歌詞が、荒れた心を不思議と癒してくれるのだ。最近よく聴くのはMobb Deepの「The Infamous」とRaekwonの「Only Built 4 Cuban Linx」の2枚。その後爆睡して土曜日は終わった。
 
 日曜日、朝起きると先々週撮ったairbnbの写真がページに反映されていた。


 日曜日は郵便局の同僚(郵便局に「友達」はいない)と有馬記念に行く約束があった。郵便局という所は実に知的な職場で、同僚との会話に「酒・女・博打」以外のキーワードは必要ない。私も、そんな社会の底辺に甘んじているような輩にお堅いことを言う柄でもないので、職場では専ら罪のない馬鹿話に興じている。そんなある日、最近入った同僚(彼のことをアカギと呼ぶ)から、「コガさん、有馬記念に行きませんか」と誘われた。聞けば、アリマキネンとは一年を締め括る盛大な競馬で、アカギはその指定席が当たったのだそうだ。競馬場に行ったことがないので、写真を撮るには面白そうだと快諾した。それで話が済んでいれば、何の問題もない休日になる筈だった。そこに、もう一人の同僚が登場する。
 彼は、28にしてパチンコや競馬で四方八方から借金をしている根っからのギャンブラーで、ここでは彼のことをカイジと呼ぶ。そのカイジくんが、「コガさん、どーせなら賭けませんか」と、珍しく話に絡んできた。私は、競馬のことはまったく分からないし、39年間生きてきて、種々の理由から自分は賭け事に向かないとの自己判断を下しているので、即座に断った。だが、郵便局の夜は長かった。私はこのカイジやアカギたちと、都合14時間共に過ごさねばならない。案の定、その日仕事が明ける頃には、私がカイジに乗り買いする、ということで、すっかり話はついてしまった。

 後の証拠のために、カイジが言ったことを、覚えている範囲でここに正確に記しておく。

 「コガさん、ボクは馬に興味はないんです。オッズしかみないんですよ。だからオッズが出揃う出走直前にネットで買います。今年のアリマはガチガチです。自分は○万円買いますが、枠連というやつです。1万円ずつ『○-○』と『○-○』を買います。これは本命です。ただ最悪本命を外したときのために、保険で『○-○』と『○-○』を1万円ずつ買っておきます。こうすれば、ほぼゼロはないし、最悪本命を外しても○千円バック、うまくいけば○○万円の勝ちです。」
 ギャンブラーは、賭け事になると妙に説得力のある言葉を吐く。賭け事とは、非論理的な精神の跳躍でしかなく、そんな道などあろうはずもない断崖絶壁で、論理という筋道が、さも頼もしく見えてしまうから不思議だ。私には本命がどの馬かも、枠連が何かも分からなかったが、カイジの「保険を打つ」という堅実な(!)考え方に感心し始めていた。カイジはさらに続けた。
 「無理にとは言いませんが、コガさんがもし○万円出してくれれば、全部で○○万円の大勝負ができます。そうすれば、さらに保険をかけれますし、当然上がりもでかいです。それにもしコガさんが乗るんでしたら、別に自分のカネから○万円出して『○-○』を買っておきます。これは万一レースが荒れたとき、コガさんの賭金がゼロにならないための保険です。もちろん当たったときは取り半でいいです。」

 私に、この話を断る理由は、この時点ですでになかった。日頃お金の管理はカミさんにお任せなのだが、この時偶然、airbnbで稼いだ金が手元にあった。もちろん、事前にカミさんに話せば、賭け事全般に生理的拒否反応を示すカミさんのことだ、OKとは言うまい。だが勝てば、事後承諾でも問題ない。私が当てた○○万円を見て、まさかJRAに金を返してこいとは言わないだろう。
 カイジの人となりは、毎日一緒に仕事をしている自分がよく知っている。ギャンブラーだが、仕事は確かな奴だ。最悪俺の金をのむような奴じゃない。それにギャンブラーでありながら、「保険をかける」という考え方が気に入った。上ばかり見てる奴は足下の小さな石ころに躓く。転ぶ怖さを知る私のような大人は、保険も掛けずに飛びはしないものだ。それに、最悪ゼロはないと彼も言った。何度反芻してみても、カイジの計画に破綻は見受けられなかった。
 私は乗った。結局、つまるところ、金の誘惑に負けたのだった。
<つづく>

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トーキョースタイル

by on 2012年12月21日金曜日

 月曜日、夕方6時。「今日も元気に郵便体操をいたしましょう!」の声が職場にこだますると、郵便課長以下皆で一斉に体操を始める。この7年間、毎日繰り返してきた郵便局の始業風景だ。ここから14時間ほど仕事して、朝の8時に解放。爽快な娑婆の空気を煙草の煙で汚しながらチャリンコで家に帰る。夜中、7ヶ月の息子が立ったとカミさんから写メールが送られてきたので、いつもより急いで帰った。

 月曜に送ったデータが恵文社のイベントページに反映されていた。コレコレ。ちなみに本のセレクトと文章はカミさん。私は写真のみ。ウチのお店は、自分でも信じられないが、女性がメインの顧客のオシャレ古本屋さんなのである。

 水曜日は郵便局に行く前に小竹向原でairbnbの撮影が一件。夕方から郵便局で仕事をして、明けの木曜日も大塚で撮影。こうして書くとヤッツケ仕事のようだが、私はこのairbnbの撮影の仕事を(今のところ)楽しんでいる。他人の家に上がり込んで部屋を撮影するというのは、なかなか緊張する仕事だ。そして緊張感のある撮影を適度にこなすことは、写真の腕やカンを錆び付かせないのに役立つ。この仕事を始めて一年になるが、おそらく都築響一氏の『TOKYO STYLE』一冊分くらいの部屋を撮ったのではないか。

 リマインダーを見ると年内のスケジュールは埋まっているので、2012年もこんな感じで過ぎていくのだろう。写真は昨日1000円ヘアーカットで散髪してるとき撮ったもの。これから息子を風呂に入れて、また郵便局。

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